時間薬と魔法の料理

我が家は高校生になったらアルバイトで自分のお小遣いを稼がないといけないという教育方針だった。そのお小遣いには携帯代の支払いや、通学定期代も含まれる。高校は電車で10分程度で着くのだが、定期代が勿体なくて自転車で45分かけて通学していた。

4月当初、高校に入学してからすぐに陸上部に入っていた。だがアルバイトと部活の両立が厳しくて1年も続けられず辞めてしまった。中学ではハンドボール部に所属していたがレギュラーになれず、高校ではハンドボール部はなかったが肩が強くて長距離走が得意だったから陸上部に入った。辛いことが多かったけど部活は続けたかった。陸上は個人種目だったから、向いていると思ったのだ。

周りでお金のことを気にせず部活に打ち込める人たちが羨ましかったが、それも仕方ないと思うしかなかった。 運動音痴だから向いてなかったと、お道化て笑うしか出来なかった。

父が死んで家庭が困窮していたし、その上高校に入学するタイミングで携帯が欲しいとわがままを言って母に携帯を買ってもらったばかりだったからこれ以上のわがままは言えなかった。それにお金の心配ばかりしている母に何を言っても絶対無理だという諦念があったし、母に部活を辞めた理由を聞かれたことはなかったから言わなかった。

「スパイクやユニフォーム、高かったのに無駄になった」

そう怒られたが、ごめんなさいも言えなかった。

兄は中学を卒業したばかりの頃からアルバイトを始めたのになんであんたはやらないのかと言われていたから、母は私が部活を頑張るよりアルバイトをして高校生なりに自立してほしかったのだと思う。

最初は母にまだ15歳じゃないし吃音症でなかなか採用されないと言ったが、聞いて貰えなかった。母にとって私は怠けているように見えたらしい。

父が死んだことから立ち直れず、部活も続けられない理由を誰にも言えず顧問からも怒られて、母にも本音を言えなかった。友人に話しても困らせるだけだと思ったので言うのを辞めた。

当時毒親という言葉を知らなかったが、母は間違いなく毒親だったと思う。

父が死んだことは、時間が経つことを待つしかないと母に言われた。私はそれに納得がいかなかった。

家庭環境は最悪で仕事の愚痴と文句しか言わない母に相槌を打つのも限界が来ていたし、思春期で何もかもが気に入らない時期だったのもあり時間薬なんて不明瞭なものに縋るしかない現実に苛立っていた。

そんな時に出会ったのは、当時10代に流行っていた邦楽ロックバンドのBUMP OF CHICKENだ。

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