これがあるから大丈夫だって、いつも信じている。

先日観た映画「ゲド戦記」の作中で、大賢者のハイタカ(ゲド)が「言葉を贈る」と言っていた。

久しぶりに観たので前後の台詞を忘れてしまったが、呪いや言葉のような形のないものに価値がなくなってきていると言っていた。ニュアンスです、思い出すためにまた観たい。

この世界には当然のように魔法はないけれど、目に見えないものに価値があるのはよく分かる。コロナ禍で世界が混乱している中で、誰しも平気なフリをしているが世界の変化を嫌でも体感しているだろう。私も表では平気なフリをして働きながらも、この仕事はいつまでもつのだろうか、家族にはいつ会えるのか、満員電車で通勤している私はコロナに罹ってしまうのか、これから先どうなってしまうのか等の漠然とした不安はある。

心療内科に通っていなかったら、家の中でひとり酷く取り乱していたと思う。生きるのが恐ろしくて、好きな俳優さんの自殺のニュースをみて後を追っていたかもしれない。なんて、タラレバ話の想像もつく。今はある程度元気に過ごせています。家計は火の車だけど……

確かなことが無くなっていくような、足元がグラついているような感覚がある。この世界もきっと、均衡が崩れているのかもしれない。歴史で見れば大きな転換期だ。選択を誤ると戦争が起きそうな世界情勢だ。選挙にいかないと、止めないと、でも、誰が代わりを務められるんだ???

考えだすと余計に不安になる。私の出来ることは限られている。残酷なことに。この残酷さを受け入れないと、心が壊れるのだろうと理解はしているが未だ、受け入れがたい。誰からも手を差し伸べられないことは、世界から見捨てられたような錯覚を抱いてしまう。

だけど私は大賢人でもないから、やれることしか出来ない。何ができるのかと考えると、今まで通りエッセイを投稿して、小説を書いて、仕事に行く。なるたけ健康でいられるように生活習慣を気をつける。成れるならゲドのような大賢人になりたかった。

きっとこれからは、形のないものが価値を持つ世界になると思っている。何となくの想像だ。お金や物質的なものではなくて、言葉や目に見えない愛情や人との繋がりの価値へ重きを置く時代に変わっていくもじゃないか? 令和だし。これも想像だ。楽しいことを考えたい。

形のないものといえば、物語や歌詞もそうだ。作者の頭の中で生まれたものが、文字を媒介に形になっていく。ある人からは文字の羅列にしか見えない小説も人によって意味が変わってくる。読んだ本は少ないけれど、その中でもお守りの様に大切にしている言葉や、泣きたくなってしまう程美しい文章等いくつかある。

伊坂幸太郎著作の「あるキング」のラストシーンは泣きたくなるほど美しいと思っている。

仙醍キングズの南雲慎平太監督が亡くなった日に生まれた野球の天才の山田王求が、己の運命を受け入れ腹を刺された状態でバッティングボックスに立つ。

ゆっくりと自分の筋肉に語りかけながら、立ち上がる。
スパイクの、つま先あたりについた土が気になり、手で払う。
ぱらぱらと茶色の土が、砂時計が時間を刻むのを模すように、地面に落ちる。
身体を伸ばし、尻で手を叩く。
少しずつ、ユニフォームの汚れが落ち、生地の色があらわになる。
ベルトの位置を直す。
背筋を伸ばす。
バッドを回し、両手でグリップを握る。
息を吸う。
意識を沈め、皮膚や骨に耳を澄まし、自らの鼓動の響きを探る。
瞼を軽く閉じる。
夜がすっと顔を寄せ、暗闇が鼻息を自分に吹きかけてくるように感じる。
父親の顔を思い出す。母親の顔を思い出す。
目を開く。
生まれた時のことを思い出そうとする。
視線を上に移動する。
黒い空に目を凝らす。
血が流れている。
平気なふりをする。
数えきれないほど繰り返してきた、自分のスイングを思い返す。
指をスタンドに向ける。
歓声が、音の塊となって、飛び掛かってくる。
こんなにフェアでファウルな日は、はじめてだ。

読んだことがないと分からないと思うけれど、10代の頃にこれを読んで泣きたいくらい綺麗に感じた。

誰にも理解されないかもしれないし、これから怖いことが増えるかもしれないけれど、お守りみたいな言葉があるから私はどうにかできるんじゃないかと、楽観的に考えている。

ナカタサキ

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