合理的な「君」に会いたい。

窓の外は猛暑で、ネットニュースでは「災害級の暑さ」とか言われていた。子どもの頃は、簾のかかった窓を全開に開けて冷たいフローリングに寝転び扇風機で冷を取っていたのが夢だったのではないかと思うくらいエアコンのないところでは生活ができなくなっている。

夏休みと一緒にあの夏も置いていってしまったのだと思う。すぐにノスタルジーに浸ってしまうのは季節柄だろうか。季節の中で一番夏が好きなのに、今年はご時世的におお手を振って外出はしにくいから何処にもいけない。夏じゃないみたいだ。

それでも仕事以外にもいくつか用事はある。エアコンの効いた部屋で出かけるならなるべく涼しい時間を狙うしかないだろうと考えていた。

週末プチ断食をした影響でやけに早く目覚めてしまった休日のお盆に、同僚がお墓参りに帰省すると言っていたのを思い出して私もお墓参りに行くことにした。

午前中で終わるように準備をしたけど、お墓に着いた頃にはもう日は昇っていて急いでお墓を掃除した。やはり誰も来ていないようだったから、来てよかった。親戚の面々を思い浮かべるが老人ばかりだし、皆わざわざ電車に乗ってお墓参りするリスクを侵さないだろう。私は都内に通勤しているので、休日だけ電車を怖がるのは悔しいので(足が無いのでどこも遠出ができない)気にせずお墓参りに行く。ひとりだから誰にも感染させるリスクもない。私が感染しているかは分からないけれど。

お墓に対して近況報告等の世間話をしながらお墓を掃除した。周りに誰もいなかったし、家に仏壇はないからこんな時くらいしかご先祖様と話すこともない。誰かに見られていたら訳アリの寂しい人に見られていたろうか。何度目かの水を張った手桶に青いトンボが止まって驚いたり、セミに悲鳴を上げカラスに怯えていたりしていた。

それでも一度やり始めると掃除が楽しくなってしまい、ピカピカに磨いて仏花を生けた。竜胆が入っている仏花は値上げしていて不況を実感した。私は竜胆が好きなので買ったが、つぼみの竜胆は咲く前にこの猛暑で枯れてしまうのではないかと不安になる。綺麗に咲いたかな。

お参りして帰ると、足の甲が真っ赤に日焼けして痛かった。災害級の暑さを実感する。エアコンの効いている施設で涼んでから帰った。ひとりで行くお墓参りはどこか達成感があった。謎の達成感。これも災害級の暑さのせいで生まれた錯覚だろうか。

家族ラインでお墓参りをしたと報告したら、感謝と東京のお盆は7月だと指摘された。何故かお墓参りが絡むと母は言い訳がましく感じる。別にお墓参りに行っていないことを責めてないのに。あまり母は得意ではない。親なので大切にしたいとは思うが、今くらいの距離感があまりストレスを感じないで済む。

母もきっと私のような人間が苦手なのだと思うし、母と娘はどこか難しい関係だと思う。地元を離れた良かったと実感する。

いつか野垂れ死にしたら私もこのお墓にはいるのだろう。還る場所というべきかなんというか。大人になってよかったと思うのは、自分の苦手なものと離れることができることだ。責任はあるし保障はあまりないけれど。

苦手なものと対峙するといつも思い出す言葉がある。ある本に書いてあった台詞だ。

「——無理矢理に何かを他人と同じように受け入れなくてもいい。この世界はもともと素晴らしくないから」

全て存在するものは、合理的である。君がいれば――

この台詞に10代の私は救われて、今も救われ続けている。

きっとこの言葉を親に言われていたら、色々変わっていただろうと思うがそんなタラレバ話に意味はなくて。本当に欲しい言葉は永遠に手に入らないものだと思うから。分からないけれど。

私はいまやっと自分のダメなところを含めて好きになれてきて、様々なしがらみから解放されて生きててやっと楽しくなってきたから。終わってしまったことは仕方がない。振り返っても何もならない。

「もう、どうでもいいよ」

このあまり良くない口癖はもうしばらく言いそうだけど、世界はもともと素晴らしくないからいいのかもしれない。

世界が煌びやかで美しく素晴らしいものだと思えない劣等感はもう無くなった。素晴らしくない世界でいつか、合理的に、勝手に救われる。私はそれでいいと思ってる。

誰かにおいていかれて、誰かをおいていってしまう世界だから。

歪んだら歪みっぱなしで、世界を反射させてしまうから。

ひとりでは生きられないのに一緒にいられる人が限られるなんておかしい話だと思うけれど、だからこそ合理的な世界に連れてってくれる「君」に会いたい。

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