二足歩行のマッチ箱ブルース

魚に歩けというのは酷ですし、菜食主義者に牛肉を食わせるのも酷ですし。苦手のものを「やればできるよ」という適当な励ましが見当違い過ぎて、反論することすら疲弊してしまう昨今ですが、皆さまお元気にお過ごしでしょうか。

空飛ぶ鳥の翼は空の上で真価を発揮するものです。二足歩行の我々は地上を離れ空を飛び宇宙にまで飛び出しました。インターネットを通じればどこにでもいけるつもりになった我々はこれからどこまで行くのでしょうか。楽を求めて進化し続けて地球を食いつぶさないと気が済まない傲慢な人類に制裁が下るのかもしれない不安に怯える毎日です。隣り合わせの死の影を意識しないのと同じく、神さまの制裁を意識せずとも恐れています。

芥川竜之介先生の名言で「人生は一箱マッチに似ている。重大に扱うのはばかばかしい。しかし重大に扱わなければ危険である」というものがあります。私というマッチ箱をどのように扱えばいいのかが分からぬまま大人になりましたが、人生一巡の我々はきっと誰もその正しい扱いが分からなくてきっと生きている間には結果が分からないものなのかもしれません。だから考えすぎず行動すればよいのだと思っています。だって誰にも分からないし、なるようにしかならないし。歴史は繰り返すし人類はなかなか過去に学ぶことができず、私はきっと今世にいくら本を読んで理解しようとも理解しえないものが存在する。

子どもの頃は森羅万象のそれらが恐ろしく、私と同じ人間とすら上手く心を通わすことが出来ないでいたので日々がたいそう恐ろしく感じていた。長生きすらしたくなかった。だからといって死ぬのすら恐ろしい。動物や虫と心を通わすことなんて不可能だと思うのに世界をみたら動物や虫と心を通わす人類がいて、ただ私には勇気ややる気がなかったのだと理解させられて惨めな気持ちになったものです。

ただ惨めな気持ちや劣等感を抱えたまま生きていくには人生が長すぎるし、希望や情熱を掲げて生きるにはきっと人生は短いのではないかと考えています。根拠もない予想ですが。私は自分のマッチ箱をどのように扱うかを悩み迷いながらも、物語の神さまとの縁がありますようにとお祈りしています。だって大いなる力が働いている世界の方がロマンティックな気がするし。

さて私は専門職の資格を生かして再就職先を見つけることができました。これも神さまの思し召しです。南無南無。ありがとう神さま。信仰深いので今年の初詣で親類縁者の安泰を願い、家族へお守りを買って帰宅しました。お守りひとつ買うことだって愛情表現のひとつだと思うのです。「あなたの無事を祈ります」という願いを込めたお守りを買うことにより、「あなた」の存在を思いだした証になる思いやりが伝わるシステムだと信じています。

二足歩行の我々はきっとこれからも進化するし、5Gの電波に乗って高速のインターネットを飛び交うようになるのだろうという興奮をマッチ箱の人生でどのくらい大きな炎を燃やしていけるのでしょうか。きっとこの炎が二足歩行ブルースだし、人生を死ぬまでの暇つぶしと捉える人々の希望になることを願い、この文章を終わりにすることにします。

これ、何を書いてるのでしょうね。全く私にも分かりませんが、このよく分からない文章を書いている時間すらもとても楽しいので本当に言葉を連ねる遊びはやめられないな~すげ~よ、文章って楽しいぞ!みんな沼ってくれ頼む。

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